ベテラン遍路さん

お遍路(へんろ)とは?

遍路の歴史と由来は、弘法大師の足跡を慕って四国の山野を歩くへんろ(辺路)修行者による。

「飛焔(焼山寺)をさんすいに望み、阿波国の太龍の岳にのぼり攀じ、土佐洲の室戸岬に勤念す。谷響きを惜しまず、明星来影す 」 と残した大師の若い日の足跡を、古来より大勢の修行者が巡っています。

 

へんろの歴史を語る文献。

「梁塵秘抄」
「我らが修行せし様は、忍辱袈裟を肩にかけ、又笈を負い、衣はいつとなく潮垂れて、四国の辺道(へんろ・遍路)をぞ常に踏む」とその様子が「梁塵秘抄」にも記され土佐の室戸や讃岐の志度が取り上げられている。

今昔物語にも
「今は昔・・四国の辺路(遍路・へんろ)という派伊予・讃岐・阿波・土佐の海辺のめぐりなり。」

○八十八箇所をつくったのは真済であると、「四国遍礼功徳記」に記されている。八十八ヶ所の数が残る最古のものは室町期である。すでに新四国と呼ばれる四国霊場のミニ版が村に作られていた。

 

一遍上人
踊り念仏の時宗の祖、一遍上人も四国で遍路した。岩屋寺(四十五番)にて修行し繁多寺(五十番)にて数ヶ月籠もり、讃岐を行方々に大師の霊蹟を詣でている。「唱うれば我も仏も無かりけり南無阿弥陀仏なむあみだぶつ」

西行法師も「高齢であるので、四国へ修行したときにもう帰れぬことも・・・」「大師のおはしましける辺りの山に庵を結びて住みけるに・・」と弘法大師を慕った四国での修行の様子を記している。

 

「へんろ」石に残る歴史

1.真念は江戸時代に四国に約二百基の「へんろ」石を立て、お遍路の道しるべにした。今でも三十基ほど現存する。 2.徳衛門「へんろ」石。江戸時代に二百基余りの、遍路の道しるべを建てた。次の寺までの距離を記している。 3.中務茂兵衛の立てた「へんろ」石中務茂兵衛は山口県(周防の国大島郡)出身でへんろ二百七十九回廻り二百八十回目の途で客死した。

 

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歩きへんろ最初の一週間は、一日二十キロ程度を目安にする。
歩き遍路は朝早く出発して、早く宿に入り体を休めること。

→遍路小屋

→お遍路の作法