大師の著作の「三教指帰」によると、『若きころ一人の沙門より虚空蔵求聞持の法を授けてくれた。「もし人がこの法に会いてこの真言を百万遍唱えると、一切の教えをすべて暗記する事ができる。」そこで仏陀の真実の教えを修行せんと決意し、阿波の国の太龍岳にのぼり、土佐の室戸崎にて瞑想を事とした。』と記されている。 ここから、青年時代の弘法大師は四国の太龍岳(21番太龍寺)や室戸崎(24番最御崎寺)を修行の地として強く覚えていた。大学での官吏になる為の学問に疑問をもち、都を捨てた大師は、深い雪の中うたのかずらで作った粗末な着物で断食したり、四国の山野を巡り歩くものであった。 寺の名の太龍は修行中の大師を護った竜神よりくる。西の高野山と呼ばれる「太龍寺」は樹齢数百年の杉の古木「龍山杉」に覆われ、山内には多くの諸堂が立ち並んでいる。 神武天皇のころ創建され延暦十一年に弘法大師が南捨身岳に上り求聞持の法を修法した。


