
第40番札所 観自在寺 「南無阿弥陀仏」の版木
大師は平城天皇の勅命でこの地を訪れた時、薬師仏を感得され、一本の霊木より薬師仏と阿弥陀如来十一面観音三尊を刻んで納められた。この時に余った木片に「南無阿弥陀仏」の版木を彫って加持し、庶民の病を封じる祈願をされた。 平城天皇は病弱であり、在位三年で皇位を嵯峨天皇に譲られる。弘仁元年(810)年の薬子の乱に連座して出家し、皇太子であった高岳親王も出家して東大寺に入る。後に大師の門に入り、十大弟子と湯ばれる。やがて大師の足跡を辿り高知の清滝寺を訪れている。 平城天皇はこの寺へ「行幸」し「平城山」の勅額を送ったと伝えられる。また嵯峨天皇も一切経と大般若経を納め毎年勅使を使わした事からこの地を「御荘」とも言う。
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