第50番札所 繁多寺  「捨て聖」一遍上人の修行の寺

 

孝謙天皇の勅願により創建され、伊予入道の頼義や堯運により再興され、光明寺となり大師が留まって修行された。 伊予に生まれた時宗開創の一遍上人もこの寺に留まって修行されたという。「捨て聖」として民衆の教化に励む。京都に留まった頃は空也上人の遺跡市谷に道場を建てて、踊念仏を広めた。亡き父如仏の追善の為に三部経を繁多寺へ納める。 応永元年(1394)泉湧寺の快翁師が後小松天皇の命で、繁多寺の住職となりその後高僧名僧を迎え、天和年間に龍湖という名僧が出て徳川家の帰依を受け、四代将軍家綱の念持仏の一つ歓喜天を安じたという。末寺百余、三十六坊を誇ったという。