第86番札所 志度寺 「不比等の寺」
藤原の不比等が父の鎌足の供養に奈良興福寺を建てる時、唐の高宗皇帝の妃より三つの宝珠を送られたが、志度の浦に船がさしかかったとき竜神に宝珠を奪われた。諦めきれず志度の浦へ渡った不比等は、土地の美しい娘と出会い子供をもうけた。ある日、不比等のなくした玉のことを知った娘は、「もしその玉を見事取り戻したら、わが息子房前を世継ぎにしてくれるか」と問い、不比等が頷くと、観世音菩薩に祈願して「我が子のためなら命を捨てても惜しくない」と剣を抜いて海へ飛び込んだ。見事に玉を取り戻したものの、竜神に見つかったため、乳房の下に瑕をつけそこへ玉を隠したので、息を引き取ってしまった。
不比等は海辺の近くに墓を立て、五間四面のお堂を立て「志度道場」と名づけた。
藤原北家の祖になった房前は母の追善に法華経八巻を納め、名を志度寺と改めたと言う。
凡薗子という尼さんが十一面観音を刻み、一間四面のお堂を建てたのが始めとも言われる。死度とは極楽浄土へ続く海辺の意味とも言う。