第24番札所 最御崎寺  みくろ洞    「土州・室戸御崎に勤念す。谷響きを惜しまず。明星来影す。」

 

  十九歳の時大師は室戸に篭り、太龍寺につづいて、ここで虚空蔵求聞持の法を修される。大師は「法性の室戸と言えど我住めば、有為の波風立たぬ日ぞ無き」とこの修行中の心を読まれている。最御崎は火つ岬、聖なる行の時の火の岬でもあると言う。 大師は若い修行の頃、無空、教空、如空と呼ばれていたが、この地での修行の経験より「空海」と名を改めたとされる。 入唐を果たし、真言密教を受けついで無事日本に戻った弘法大師は、嵯峨天皇の勅命を奉じて再び室戸を訪れられ、寺を創建して刻まれた虚空蔵菩薩がご本尊。 歴代天皇の直願寺として皇室より信頼が厚く、足利時代には土佐の安国寺になり(建武年間)千二百国、長曽我部元親より八百五十国、山内家より百五十国等々、土佐の国主より寺領を寄進された。 本堂には重要文化財の薬師如来や月光菩薩が安置されている。大師が持ち帰ったとされる大理石の如意輪観音も重文。 「ねじり岩」は大師の母君玉依御前が訪れた時、大師が念仏を唱えて岩をねじ伏せ、嵐を静めたといわれる。」昔は女人禁制であった。