第25番札所 津照寺  「かじ取り地蔵」

 

  道のない室戸岬へ行くには、阿波と室戸を結ぶ街道が太平洋にあたるこの室津の地が重要な位置であった。 室戸で修行された大師も、太平洋に出る漁師のため安全を祈り、室津の港に近い小山に延命地蔵尊を安置された。秘仏の延命地蔵尊は海上の安全と火災除けの霊験がある。近くには四十寺山や池山などの大師の史跡もある。 「今昔物語」に室戸津の津寺の話がある。当寺の地蔵の霊験は平安の都に聞こえるほど有名であった。 室津の港は交通の要衝であり、度々巨費と大勢の労苦を費やして修築されたが、常に難工事で寛文年間に野中兼山が改修にのぞんだ折、港の入り口に立ちはだかる巨岩がどうしても掘削できなかった。部下の一木権兵衛は死を以って工事の完成を祈念し、津照寺の僧に死後を託して人柱になり一木神社として祀られている。釜を伏せたようなお釜石が今もある。 「南路史」によれば、慶長六年十月、国主山内一豊公は室戸岬を航行中、突如暴風雨に襲われた。そこへ大僧が現れて船の舵を取り、全員を無事港へ導いたあと僧は姿を消したと言う。 一行が感謝の法楽に津照寺の門をくぐり、ご本尊を拝したところ潮で全身がびしょ濡れであった。それ以来「かじ取り地蔵」として船人から篤い信仰を受けている。寛政年間の大火の折もご本尊は僧の姿になり、人々を避難させたと言う。山内忠義は堂宇を再興し、一命を救われた事を感謝している。 「土佐日記」で有名な紀貫之は土佐国司の任を終えて承平四年(934年)に都へ戻る途中、室戸御崎を船で廻ろうとしたが悪天のために、この津呂の港で留まっていた。「十六日風波止まねばなほ同じところにとまれり。ただ海に波なくして、いつしか御崎というところ渡らんとのみなん思う。風、波ともに止むべくにもあらず。」十七日 くもれる雲無くなりて、あかつき月夜いとおもしろければ、船を出して漕ぎ行く。」