第33番札所 雪蹊寺  「蹊」とは雪道を人が歩いた跡

 

  昔はもっと海岸が近くにあって、その砂の上を歩く足跡を雪蹊とみたのかも。 本尊薬師如来は脇侍の日光・月光菩薩とともに運慶晩年の作品。毘沙門天・吉祥天女・善賦師童子は息の湛慶の作品。いずれも重要文化財。鎌倉時代の仏師親子がこの寺に留まって尊像を刻んだので「慶運寺」と改められた。もともと延暦年間に大師に創建されたこの寺は少林山高福寺と言った。 後に永禄の頃、月峰和尚がこの寺に泊まったとき、夜半に妖怪のすすり泣く声が聞こえて来た。「水もこの世をいとうころかな」という句を読んでいるので、成仏できぬ霊がいるのだと感じた月峰師は「墨染めを洗えば波も衣着て」という上の句を作ると泣き声はやんだと言う。 この話を聞いた長曽我部元親に寺に留まるように請われた月峰師が、寺を再興して以来、臨済宗の寺になり、元親の戒名も「雪渓如三大居士」と言う。 白隠禅師の再来と言われ京都・妙心寺の官長となった、「山本玄峰師」は、若いころ失明に近い眼病に罹りはだしの遍路を七回している時、この寺の前で行き倒れになり大玄和尚に救われる。寺で通夜しているうち、出家の心を抱き大玄師に申し出ると、「親からもらった眼はいつかは見えなくなる、しかし心眼が開けばもうつぶれる事は無い」と答えたと言う。 玄峰師は紀州に帰り、妻と別れ、弟に家を譲り、その後修行して傑出した禅僧となった。 九六歳の年で亡くなるまで17回遍路をされたと言う。