だれもみな仏になることができる

 

人の心の底には、煩悩に染まらない清らかな心があります。貪りや瞋りに汚れても、本来の心は鏡のような清浄である。これを仏になれる種、(仏性や如来蔵)と言います。

 

 

お遍路をして、 生まれながらの「心の本性」を知る。

 

「心」は何にも染まらぬ清らな月のようであると弘法大師は言います。

悟り心は水の湛然にして清浄な如く、満月の光の虚空に遍満して、あらゆる分別を離れている。しかし貪り怒り痴のゆえに、その真実を見ない。すべての迷いの法は、ただ心の上に現れた一時の幻に過ぎない。 〔貪り瞋り痴さや、色・声・香・味・触・法の五欲によりそう映っているが、真相を知れば智慧の眼が開ける。〕

 

 

そして、仏の教えを直接体験する (法身説法)

深遠な仏の教えは人の言葉では知りえぬもの(言語道断)である、と言われます。

しかし弘法大師は、「仏の教えを直接に聞くことができる」と説かれています。

悟りを求める「菩提心」と、衆生を救いたいとの「大悲」の心と、正しい定「瞑想」に入ることで、姿形を超えた仏「法身仏」の働きを感じることができると説かれています。
お遍路を通じて、弘法大師の説かれた仏の教えを聞く修行を実践します。

 

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